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名草の伝説 鎧地蔵〜お地蔵さまが道案内〜  
佐野小太郎宗綱が天正12年(1584)1月1日、須花坂で悲壮な最期をとげたことは「須花坂」の項でお話しました。
 これからお伝えする「鎧地蔵」は、いわば、その続編をいうことになります。
☆ 下野国誌びよると、宗綱の首級は2月5日に足利方から送り届けられ、佐野家の菩提所である本光寺に埋葬されたということです。
 さて宗綱が討ち死にしてから143年後の享保12年(1727)9月、須花坂に石のお宮が建てられ、中にお地蔵さまがまつられました。宗綱の霊を慰めるため、佐野家の家臣、柳沢左右衛紋と、同伝右衛門のふたりが、その戦死の地に建立した・・・と記録にあります。
 当時の須花坂は、今のトンネルの上だったそうで、ここに樹齢数百年という樅の大木がありました。お宮が建てられたのは、その根方だったといわれています。
 このお地蔵さまは、兜をかぶり、鎧を着た高さおよそ36cmの石の立像で、左手に宝珠、右手に錫杖を持っています。いわゆる勝軍地蔵ですが、馬には乗っていません。
☆ 勝軍地蔵は軍馬にまたがっているのが普通で、立像というのは全国でも非常に珍しいそうです。
 須花坂にまつられたお地蔵さまは、その後、長い間にわたって地元の人たちの信仰を集めました。また、ここを通る人の安全を守り、道に迷った旅人がいると“道案内をした”と伝えられています。
☆ いくらなんでも、石のお地蔵さまが歩くはずがありません。昔は今のようなハッキリした道路はなかったようですから、旅人などはずいぶん難儀したでしょう。
それに、めったに人の通るところでもありませんから、道に迷っても聞くことができません。不安な思いのうちに、山道をたどりながらこの坂までくると、お地蔵さまが目に入ります。
「ああ、これが話しに聞いたお地蔵さまだな。とすると、これから、東に1里(約4q)くらい行けば人里に出るわけか」
「ここから西のほうにいけばいいんだな」
といったように、このお地蔵さまを“道しるべ”にしていたのが、誤り伝えられたのだろう・・・と推察されます。
 かつて坂の上にあったという樅の木も、石のお宮も今は見当たりません。しかし、お地蔵さまは昭和11年9月に「鎧地蔵」と命名され、現在は名草中町の金蔵院に安置されています。

臺 一雄 著「足利の伝説、続足利の伝説、続々足利の伝説」より

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